新横綱・稀勢の里は、横綱土俵入りの型は「雲龍型」を選んだらしい。

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稀勢の里、横綱土俵入りの型を雲竜型 先代師匠は不知火型で「悩みました」 (デイリースポーツ) – Yahoo!ニュース

昨日の記事の続きになりますが…二所ノ関一門は雲龍型も不知火型も両方いたので本人の希望が通りやすい一門なんですが…そうですかー、雲龍型ですか(笑)

大相撲初場所(22日千秋楽)で初優勝した大関稀勢の里(30)=田子ノ浦=は第72代横綱昇進を翌日に控えた24日、都内で取材に応じ、横綱土俵入りの型を雲竜型に決めたことを明かした。

 2011年11月に急逝した先代師匠の故鳴戸親方(元横綱隆の里)が不知火型だったため「悩みました」と言うが、「昔から雲竜型に対するあこがれもあった」と決断理由を説明した。現在横綱は白鵬(31)=宮城野、日馬富士(32)=伊勢ケ浜=が不知火型、鶴竜(31)=井筒=が雲竜型。

 25日に臨時理事会で正式決定。伝達式の口上は「いろいろ考えている最中。今の自分のそのままで特別な言葉はいらない」と、愚直に相撲道を歩んだ15年の思いを飾らぬ言葉に込める意向だ。

 この日、田子ノ浦部屋では二所ノ関一門の力士約30人が新しい綱を作るための「麻もみ」を行った。多くの人が尽力してくれていることに稀勢の里は「僕らがまた若手を引っ張り上げる。一人でも多く関取、三役、大関に引っ張り上げたい。しっかりお返しの気持ちで二所ノ関一門の連合稽古に参加したい」と話していた。

稀勢の里の入門時の師匠だった隆の里の故・鳴戸親方は現役時代、横綱土俵入りの型は不知火型でした。

ま、これはこの当時(昭和40-50年代)の横綱の殆どが雲龍型を選んでいて、不知火型の伝統と歴史を残すため(今回の時のように新しい横綱が誕生した時は先輩横綱の面々が指導する必要があるので)に、当時は、というか白鵬がここまで平成の大横綱になるまでは、「不知火型の横綱は短命である」というジンクスがあってほとんどの横綱が雲龍型を選んでたんですね。元・佐渡ヶ嶽親方の琴櫻やこの元鳴戸親方の隆の里、現在はタレントになった「お兄ちゃん」3代目若乃花などはそういう理由で「あえて」不知火型を選んでたんだそうです。

※実際は、戦前・戦後の時期に大活躍した羽黒山や、戦後間もなくの頃の吉葉山という横綱が33歳で昇進して不知火型横綱で4年近く活躍してたという力士もいたんですが、玉の海という昭和40年台に北の富士と同時に昇進した横綱が盲腸をこじらせて夭折したのが更にジンクスとして拍車をかける結果になったんだそうです。

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でもまあ白鵬の宿敵として、やはり向こうを張って…。

ただ、隆の里が不知火型を選んだ理由が一門の総意とかではなく、「伝統を残すため」という理由だった以上は、稀勢の里が師匠の後を継いで…という必要性はそれほどでもないと思うんですね。不知火型横綱としては既に白鵬がその短命であるというジンクスを打ち破り、更に今年で横綱5年目になる日馬富士もいるわけですし(ちなみに同時期に不知火型横綱が2人以上いた=雲竜型の横綱が不在になったのはこの時が大相撲始まって以来だったそうです)。むしろ鳴門親方が生きてたら、「俺の事は気にせず、白鵬の向こうを張って雲龍型にしろ」と言いそうな気がしますしね。

ま、昨日の話では元・大乃国の芝田山親方(この人も二所ノ関一門で雲龍型の横綱でした)が土俵入りの指導をするという話もあるようですし、とかく大柄で現役時代は200kg以上の重すぎる体重で横綱土俵入りにもかなり苦労されてた印象があるんで、いろいろなアドバイスを受けた上で、稀勢の里にとってこの人らしい土俵入りが完成すればな、と思っているところですね。

いやあそういう意味では隆の里の故・鳴戸親方にこの晴れ姿は見せたかったろうなあ…。

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