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「人生、成り行き」

贔屓の千葉ロッテ・ヴァンフォーレ甲府を中心に、四方山話を書いている雑記ブログです。あとさだまさしとかも。

人生、成り行き

久々に、故郷・千葉県富里の「スイカロードレース」の名前を久々に見たなあ…と思ったら熱中症で病院搬送ですか…。

雑談 スポーツ

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「スイカロードレース」7人搬送 千葉・富里で1人重体、熱中症か ― スポニチ Sponichi Annex 社会

子供時代は成田空港ができてから約20年、子供時代の大半を成田市のニュータウンで過ごして、現在は富里市(当時は富里「町」でしたが)に家を買って実家が引っ越して今も家族が住んでいるもんで、やはり地元っちゃあ地元の話なんすけどね。

千葉県富里市で26日開かれたスイカを食べながら走るイベント「富里スイカロードレース大会」で、参加者の男性4人と女性3人の20代~50代の男女計7人が熱中症とみられる症状を訴え、病院に搬送された。そのうち50代の男性1人が意識不明の重体。

 市によると、ほかに約40人が体調不良を理由に救護所を訪れ、大半が熱中症とみられる症状を訴えたという。大会は午前9時前から正午ごろまで行われ、市などでつくる大会本部は熱中症への注意喚起をスピーカーやパンフレットで呼び掛けていたという。

 大会は1984年に始まり毎年実施。市名産のスイカのPRが目的で、レース中の給水の代わりにスイカを食べながら3キロから10キロを走り、今回は全国から約1万2千人が参加していた。

 銚子地方気象台によると、富里市に近い千葉県成田市の26日午前の最高気温は28・9度だった。

「6月の暑さ」はまだ体が慣れてないだけに…。

数年前まで外回りの営業の仕事をしてたんですが、やはり「暑さに徐々に慣れていく」7-8月に比べて、この6月の暑さってのは「いきなり」来るもんだから体が慣れずに大変だった記憶がありますね…。しかも当時の職場が上層部が頭が固い奴らばかりで経費節減で建物のエアコンをかけるのが7月からなんで6月はエアコンかけなかったりとか。ゆえに6月によく寒暖の差で体がヤラレてた記憶があります。

確かに富里市にあるうちの実家(富里市の北の端っこの日吉台というニュータウンにありまして、歩いて3分のとこに成田市との市境があるぐらいの「成田」なんですが、確かにこの時期は梅雨時で湿度も高いですしねー。マラソンをするにはやや酷な時期だったんでしょうね。

富里は熊本と共に日本有数の「スイカの名産地」でして。

で、富里市ってのはスイカの名産地なんですね。どうもこの界隈は昔は関東ローム層とか北総台地の作物を作るのに適してない土地だったそうでどうにか作物を、というアイデアの一つでスイカを植えたらそれが「当たって」、一躍名産地になった、とのことで。熊本県と全国1-2位を競っているぐらいになっているんだそうですね。

この大会のニュースを見ると季節と故郷を想いまして。

このスイカロードレースってのは確か私が小学校高学年になるぐらいから始まったんですけど、いかんせん参加費がやや高いのと(子供時代に千円とか二千円とかは高かった…)、マラソンが嫌いだったんで私は参加したことはないです。ただ、この時期になるとNHKの関東地方のニュースで必ず流れる(主に見るのは夜8時45分のニュース)ので、それを見て「ああ、その時期か」と、それでしみじみ故郷のことを思い出す、みたいな感じでした。実際に地元に住んでると全く気にならないんですけどね。

給水所とゴールでスイカが食えるんですね、この大会。

で、給水所とゴールに給水のかわりにスイカが置いてあって、これを喰うのがある意味楽しみのひとつ、と(ゴール後はおいしいスイカが食べ放題ってのも売りだったりします(笑))。

昔はこのスイカロードレースはかなりマニアックな存在だったんすけど、近年、ちょいとしたジョギングブーム、マラソンブームで全国あちこちで開催されるマラソン大会の参加者が増えてるのと同様に、こちらのスイカロードレースも参加希望者が増えて近年は抽選になったぐらいでして。

素人考えからすると、いやあそんぐらいの参加者だと日ごろジョギングとかトレーニングを積んだうえで大会に挑むと思うんだけど、それでも熱中症とかにやられる人は出てくるんですねえ。確かに今日は暑かったし蒸しましたからね…。やっぱり油断できないもんなんですね…。

成田国際空港がそもそも成田という場所に決まった理由

でここからは「余談」なんですが、隣の成田でも土地の作物状況は似たような状況だったそうで、明治の頃から半世紀以上かけて不毛な土地を開墾して試行錯誤の末にどうにか作物を取れるようになったころ(昭和40年代)に「空港作るから土地売って出てけ」と無理やり国が言ってきたのが成田空港の反対闘争のきっかけになった次第ですね(ここに誘致した政治家(当時の自民党の地元出身の大物議員)がいたのも事実なんですが…)。

もともとは空港は富里と隣の八街の境目に作る案が反対運動で頓挫して、当時、宮内庁の御料牧場が成田の三里塚にあり、ここの広大な土地を利用して残りは土地を買収して…をやろうとしてしくじった、というのが成田に空港を作ろうとして揉めに揉めた理由なんですけどね(更にこの時期、学生運動に敗れた左翼の運動家が成田に集結しちゃったのも余計に大事になっちゃいまして。結局、成田空港は開港が数年遅れることになりましたし)。

そして平成の大合併で成田市と富里市が「破談」したことも。

ついでに書くと、後年、「平成の大合併」の頃に成田空港の経済効果を思いっきり恩恵を受けている成田市を中心に、いくつかの市町村で合併する案があったんですが、成田は吸収合併(「成田市」のままで面積や人口が増える)、富里は新設合併(「成田市」と「富里市」が対等な関係で合併して、新しい市の名前をつけて面積や人口が増える)と、意見が食い違い、その結果、破談になってしまったんですね。大合併する気満々だった当時の成田市長が辞任する羽目にもなりましたし…。

この時の成田の言い分が「本当は空港は富里と八街の間にできる予定だったのに、お前らが反対運動したからこっちに流れてきて血まで流した大騒動になったじゃないか。経済効果か何かは知らんが今更調子いいこと言うな」だったんだそうで、富里の方は新設合併じゃないと市長や市議会議員の枠が減って決定権者には何もメリットがないのででは富里市の枠としてはそのままに…ということになったという経緯がありました。

 

…と書くと、意外にスイカロードレース、ひいては「なぜ富里がスイカの名産地になったのか」、さらには「なぜ成田空港ができるまでにあんな揉めたのが」が実はビミョーにリンクしてることがわかるというもので。実は「歴史上の出来事」って多かれ少なかれ、実はみんなそんなもんなんでしょうね。

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