スポーツ庁「スポーツが嫌いな中学生を現在の半分に減らす」←無理w

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スポーツ嫌いな中学生半減の目標に波紋 ヒャダインさん「体育が嫌なのは恥をかかされるから」(Huffington Post)

特に小学生の体育は大嫌いで、ほぼ皆勤だったけど毎度サボる事しか考えてなかっただけによくわかる。

スポーツ嫌いダメ?国の目標波紋 「体育の恨み」影響も

 スポーツが嫌いな中学生を現在の半分に減らす――。スポーツ庁が掲げた目標に、一部で反発の声が上がっている。嫌いなままじゃダメですか?

 スポーツ庁の昨年度の調査によると、運動やスポーツが「嫌い」か「やや嫌い」な中学生は16・4%。微増傾向にある。このままでは将来、運動しない大人が増えてしまうと、同庁は3月、5年かけて8%に半減させる目標を「スポーツ基本計画」の中で打ち出した。

 この計画が報じられると、「強制しないでほしい」「余計嫌いになる」「嫌いで何が悪い」などの意見がネット上で飛び交った。

 スポーツが嫌いになるのは、体育の授業にも原因がありそうだ。フジテレビのトーク番組、「久保みねヒャダこじらせナイト」には、視聴者からの投稿による人気コーナー「体育への恨みつらみ川柳」がある。出演者の漫画家の久保ミツロウさん、音楽家のヒャダインさん、文筆家の能町みね子さんが全員体育嫌いだったことで意気投合し、生まれたコーナーだ。記者が取材を申し込んだところ、番組内での「公開取材」を求められ、3人の言い分を聞くシーンが5月上旬に放送された。

 ヒャダインさんは「体育が嫌なのは恥をかかされるから。周りに迷惑をかけている申し訳なさ、馬鹿にされているんだろうなという自虐。ネガティブな感情ばかりが渦巻くんです」。能町さんは「体を動かすこと自体が嫌いなわけじゃない。うまい人とやるから嫌いになる。レベル別に完全に分けてくれればいいのに」と提案する。

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鉄棒なんかはいかにして時間が過ぎるのを(笑)

特にダメだったのが鉄棒とマット運動でしたね。とにかく運動音痴。逆上がりはどーにか練習の末にできたけど、空中逆上がりなんか最後までできなかったですもの。

小5-6の担任が男の体育教師で、女子や優等生への贔屓がロコツだったり、ひねくれてた私なんかはこいつには目の敵にされて結構殴られたりしたもんでしたが、その反面マヌケなとこもあって、例えば体育の鉄棒の授業なんかは順番に空中逆上がりができたものから紅白帽子を白→赤にして鉄棒の向こう側で座って待ってろ、終わらないと延々と続けるぞ、という事をよくやる教師だったんですが、私は子供の頃から「できないとわかれば(落ちたりして)痛い思いをするよりも延々とできないフリをしてた方がいい」「できないなりにやってはいますよとポーズみせて怒られないんだったらそれでもいい」と思うガキでした。

それだったんで、クラスの中でも私同様運動神経がダメな子たちと、できないフリで延々とやっては失敗、やっては失敗…を繰り返してたら、15分ほどして「もういい。次のことをやるぞ」と、別の種目に移ってはいお役御免、みたいな感じになってましたね。

この担任の数少ない「いいとこ」は、体育教師で生真面目な奴だったんで45分の体育の授業に20分の準備運動・ストレッチを課せる奴(体操だけじゃなくて柔軟体操とか馬跳びとか…)で、準備体操+鉄棒だけで45分のうち35分も費やしてたので「あー、あと10分だ。出席はしてるから体育も2もしくは3は貰えるぞ」と乗り切った感が強かったですねー。

「水泳は成績には入らないから」と言われた日

で、この私、「できないとわかれば(落ちたりして)痛い思いをするよりも延々とできないフリをしてた方がいい」「できないなりにやってはいますよとポーズみせて怒られないんだったらそれでもいい」と思うようになったのは、この担任のとある一言がきっかけでした。

私、小学校の頃はスイミングスクールに通ってて、水泳だけは得意だったんですね。水泳も一応屋外プールがあるんで授業もあり、それなりの検定のようなものもありまして、そこそこフツーに泳げて、1級とか取ってました。唯一自分でもアレだなあと思ったのは、クロールのターンキックが苦手で、平泳ぎ・バタフライの方がクロールよりもタイムが速い、という不思議なガキだったんすけど(爆)。

ところがこの水泳、1学期の査定にも2学期の査定にも入らない、と言われたんですね。この担任に。尋ねると「授業数の割合を考えてみろ。それに夏休みの水泳の授業、1学期でも2学期でもないだろう?」と、しかもせせら笑いするように言われたんですね。「お前、何行ってんだ?」みたいな。

でも逆にいえば「お前、何いってんだ?」と思ったのはむしろこっちで、「そうか、水泳が嫌いでずっと見学したり泳がなかった奴は成績に響かないで、ちゃんと休まないで授業に出て鉄棒とかができないヤツのほうがこいつにとっては劣等生なのか」と、よく「頭に血が上る」という表現がありますが「頭から血の気がサーッと引いていく」感じになり、それ以降は「ただ出てるだけ」みたいな気持ちで体育の授業に行くようになりましたね。

それに一生懸命やってるようなフリをして。担任も「フリ」はじゅうぶんわかってるんでしょうが、できないものは仕方がない。それでいて授業は休まずに出てる。そりゃ目の敵にもするよなあ…という関係で、随分後年(というか去年あたりに)、実家に帰った折にうちの母親が昔の学校の先生の話題になった際に、「あんたはあの担任の先生のことを名指しで大嫌いとか、「××(←呼び捨て)、そのうち殺してやる」とか嘲笑って話してたよね」と、苦笑しながら話してまして、あー、そりゃ俺の態度がそこまで反抗的だったら担任も目の敵にするだろうし、手も出したくなるだろうなとは思いましたけどね。

※ちなみに人間関係の相談等は親友が隣のクラスに居て、隣のクラスの担任が学年主任のベテラン先生だったんでその先生に相談してました。いや、登校拒否とか担任からの全殺し(?)にならなかったのはあなたのおかげです。ありがとうございました。

「やる」のと「やらされる」のとの違いは大きい。

でも思うに、体育の授業、高校・大学のように選択制(高2、高3の時はソフトボールかテニスか、サッカーかバスケかみたいな選択がありました。大学1年の時の一般教養科目の体育も同様で)で、好きな物をやらせてくれればいいのに、小学校の場合は1クラス単位でやるし、体育教師がひとりだから「まとめて」やろうとするのが一番良くないんでは?とも思うわけで。中学の時は男女別に2クラス同時にやってました(高校の時も)。

ただ、中学の時は、鉄棒・マットとかもありましたが、こちらはできなきゃできないなりにうまく誤魔化すことはできましたしね(でんぐり返しでごますかとか)。こちらも出てるだけで「2」、他の種目の加点があって運が良ければ「3」を貰えてましたし。

あ、そうそう中学の時は3年間、「球技」の時は、1-2学期に体育館ではバスケ、3学期にグラウンドでサッカーばかりやってました。ボールに触ったり、ヘディングしたりするたびに微量ながら「加点」してくれる先生で、たぶん体育が「3」が増えるようになったのは、このサッカーのヘディングと、バスケの3ポイントシュート(相手から離れて立ってるとパスが来るので、そこから適当にシュートすると不思議な事によく入ったもんでした(笑))で「稼いだ」ようなもんでしたね。不思議なことに学年が上になるごとに選択種目が増えて、高3の1学期はずーっとソフトボールだったんで、体育で評定の「5」を取りましたし、大学の体育もソフトボールとバトミントンばかりやってたんですが気づけば「優」を取ってました。たぶん高校・大学の成績の付け方って絶対評価じゃなかったんじゃないのかなとも思うんですが(小学校・中学校は相対評価でした)、それはそれとしても、万年「2」だった体育が「5」を取る日が来るとは思わなかったですねー(苦笑)

と考えると、やっぱり「やるスポーツ」と「やらされるスポーツ」の違い…はかなり大きいですよね。そこに体育教師の腕の見せ所であり、小学校の体育のカリキュラムの問題も出てくるでしょうし。そのあたりを無視して「スポーツ嫌いを減らす」なんていう実に「光景無糖な」目標を立ててもまあ無理でしょうね。現場が疲弊するだけでしょう。

1964年と2020年はどこらへんが変わったのだろうかね。

そういえば公共広告機構でしたっけ、星野源の歌に合わせて「2020年、1964年に負けるな」みたいなCMがあるんですが、あれ、実はわたしは大嫌いでして「んな生まれる前の話と比較されても…」と。小林信彦氏の週刊文春のコラムにも書いてあったんですが、1964年の五輪も今でこそ成功話・逸話のように語られてるけど、この直前の準備のゴタゴタ、東京も至るところで大混乱があったという話もありますしね。それでいて、今、2020年の五輪に向けては、一昨年あたりからいろんなゴタゴタが起きてるじゃないですか。そりゃ特需の恩恵を受ける奴らからすると、関係調整なんか無視してバラ色の未来が見えてるんでしょうが、いい部分もあれば悪い部分もあるのは当然で。

で、1964年の五輪の後には、マラソンの円谷幸吉選手が自らの怪我やスランプで最後はカミソリ自殺を果たしてしまうという「悲劇」もあったことは有名ですが、その後、何度も五輪が行われて、そこらへんの選手たちへのケア(特に好調時ではなく不調時の際の)はできてるんだろうか…と心配になるんですよね。特にマスゴミなんかは持ち上げる時は思いっきり持ち上げるけど、いきなり叩き出したり、「ふうん、君は選手個々の活躍じゃなくてメダルの数にしか興味が無いのかね?」みたいな輩もいるしで。

もっと大事なことはあるハズだが?

むしろ「異能な」スポーツ選手へのリスペクトを持たさせるような教育、施政、予算が少ないけどその予算を「うまく」効果的に使う方法のノウハウづくりなど、そっちの方の拡充・フォローも同時にした方がよくね?という気もするんですが。…いかがでしょうか。

たぶんスポーツ庁なんかもそこまで深く考えずに「そうなるといいなー」みたいなノリで発表したんでしょうけど、体育教師はプレッシャーかかるよね。アホな教育委員会とかはそれを真に受けて「そうしろ」とか命令する奴らも出てきそうだし。そこらへんは戦争中の「戦陣訓」でいうとこの「捕虜になるぐらいだったら潔く氏ね」みたいな話とかとあまり変わらないから(思えば明治以来の)官僚機構やお役人、公務員の世界はもう制度疲労なのかもしれないなーとも思う次第で。だってスポーツ庁だってできたのは新しいけど、文科省の外局らしいし、そういうお役所のひとつなんでしょう?

※なお意見には個人差があります(byさだまさし)

「遺書」書いたんだから早いとこ逝って(以下略)

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