PTA会長もやっていた、大嫌いだった少年野球の監督をちょっと見直した(30年たったけどw)

スポンサーリンク

【話題】“PTA”絶対にやりたくない問題&意外なメリット(1/2) – ハピママ*

うちの子供も何年かすると幼稚園だの小学校だのという話も出てくるんで、まあ他人事ではない、んですけども。

もうすぐ新年度ですね。

PTAの本部役員は前年度から推薦用紙などが配布され、もう決まっている学校もあるのではないでしょうか。

また、クラスの中の役員は4月初の保護者懇談会で決まることが多いですが、そろそろ前職のママから打診されている人もいるのではないでしょうか。

でも……PTAと聞くと嫌な気持ちになってしまう人もいることと思います。

今回は、そんなPTAの現状やメリットについて『1人でできる子になる 「テキトー母さん」流 子育てのコツ』の著者の立石美津子がお話しします。

“PTAに入らない”という選択が話題に

最近では、あるママが選択した“PTAに入らない”というニュースが話題になりました。

PTAが入退会自由な組織であることは、あまり知られていない。任意加入であると周知しているPTAが少ないからだ。2016年3月にタレントの菊池桃子さんが「PTAは任意参加なのに、全員参加することが暗黙の了解となっているケースが多い」という趣旨の発言をしたことが話題になった。

時代の移り変わりと筆者の経験

専業主婦が主流だった昔と今とでは状況が変わりました。働くママの割合は年々多くなり、シングルマザー、シングルファザーも増えています。

そんな中、「仕事をしているから役員はできない」というのはもはや理由として認められません。小さな赤ちゃんがいる、年寄りの介護があるなども正当な理由として認めらません。

学年が変わる2月くらいから保護者間では「来年、クラス委員やりたくないよね」「どうやって逃げようか」などという話題で盛り上がります。

もし、「役員に選ばれたくない」理由で4月の年度始まりに行われる保護者会に欠席すると、“欠席裁判”のようになってしまう噂もありました。つまり「今日、参加していない人に役員を引き受けてもらおう」ということにもなりかねないのです。

本文自体が結構長いんで冒頭の部分だけ引用させてもらいましたが…。

スポンサーリンク

少年野球の監督がPTA会長もやっていた。

つい先日、こういう記事を書いた時に小4-6に入っていた少年野球の監督の話を書きました。再掲しますと、

そうそう、後から思い出したんですが、小学校の頃、無理やり少年野球に入れさせられて3年ぐらい野球やってた事があったんですけどもこの時も1000円ぐらいの(年、だったか月、だったかは忘れましたが)スポーツの保険代は取られてましたね。実際に野球で骨折する人もいたぐらいで…。結構監督も無茶苦茶や奴で子供ながらに「ふざけんな」と思いながらも続けてたんですが、そういうとこはしっかりしてたんだなあ。少し見直しましたわ。

ちなみにその監督は地元のサッシ屋の社長さんで、この手の仕切事が好きな人だったらしく小学校のPTA会長もやりつつ同時に小学生向けの女子バレーボールの監督もやってましたわ。まあ子供ながらにいつも感じてたのは、「あんた、いつ「本業」やってんだ?」と(笑)。

と。

まあ無茶苦茶なオッサンでしたけどね。

私が小学校を卒業したのは昭和62年・1987年でしたので、早いものでもう30年前になります。二十歳を過ぎてから時間の経過がめちゃくちゃ早くなったので30年前という実感がほとんどないんですけど、たまーに成田の実家に帰った折に近所を通りかかると、野球の練習をしてた公園のグラウンドも随分と整備されて「きれい」になってました。この公園は母校の中学校の通学路でもあって3年間通ってたんですが…。

私が少年野球に入るきっかけになったのは、小3の春休み。友達とうちに向かって歩いてる途中にユニフォーム姿の上級生にむりやり手を引っ張られて練習場に連れて行かれたのが最初でした。で、その友達はうまく逃げおおせたんですが、うちは弟が近所でも有名な悪ガキ、というか一人で遊ぶ癖に変なとこで目立つトラブルメーカー的な糞ガキだったんで、家を覚えられちゃったんですね。

結果、毎週のように朝、誘いに来て、結局気が弱かったんでそのまま入ることになり、何度か辞める算段は立ててたんですが、仲の良い同級生が後から後からどんどん入ってきて、結局6年の卒業までやる羽目になりました。ただ、同時期に公文式とか、スイミングスクールとか、小学校の吹奏楽部とかにも入ってたので、程よくサボれてましたけどね。私、昔から大の暑がりなんで夏はよくぶっ倒れてました。ま、85%は嫌々やらされてたんで演技だったんですが、周りからは「仮病」とか言われてました。ま、仮病だったんで開き直ってましたけど(爆)。最初は仲の良い友達が誰もおらず、バックレることしか考えてなかったんですけど、途中から親友が入ってきたり、その親友は団地でガキ大将みたいな感じで慕われてたのでその弟や子分たちが入ってきたりして、野球をすること自体は全く好きになれませんでしたが、まあ居心地は少しは良くなったんでそこそこ楽しくやってました。

種村直樹氏によく似たオッサンでした(爆)。

で、この監督、近所の県営団地に住んでたサッシ屋のオヤジだったんですが(旭硝子とかトステムとかの下請け・孫請け会社だったようです)、平日は仕事前に早朝野球やったり、土曜日は小学校の体育館で女子バレーボールチームの監督をやったり、そこの小学校ではPTAの副会長→会長とかやってた忙しい人でした。それと、PTA会長にしてはあまりにも小学校の休み時間に校内、特に職員室の廊下とか玄関で出くわすんで「あんた、仕事大丈夫なのか?」って子供ながらにこのオッサン大丈夫?と心配するようなパーソナリティでしたね。

後年、中学生か高校生になったあたりから、

市立図書館でレイルウェイ・ライターの種村直樹氏の本を読むようになるんですが、実は風貌がこの種村氏によく似てて、しかも種村氏も若い頃から晩年大病で倒れるまでは、タバコスパスパ、お酒も朝からビール、読者との旅ではよくかんしゃくを起こしてたり…というエピソードを読んで「あー、監督に似てるわ。風貌もキャラクターも」と失笑してたもんでした。

結局、私自身は種村氏にはファンレターも質問の手紙も出さなかったし、旅先で会うこともなかったんですが、なんとなく敬して遠ざける感じになったのは、たぶん「よく似てた」少年野球の監督のせいですね、きっと(笑)

采配下手で万年1回戦負けのチームでしたが…。

で、私はこの監督が大嫌いでした。思春期から大人になるにつれて、好き嫌いの好悪で人を嫌いになったりする事は増えていったんですが、私が覚えてる中ではたぶん人生で初めて「私はあの人が嫌いです、と公言もして顔にも態度にも出した他人」だったんではないか、と思うぐらい嫌いでしたね。

まあ最大の要因は「采配が下手でこいつのサイン指示で試合を負けてた」ってのが一番。何せ弱小チームで万年1回戦負けのチームだったんですが、このレギュラーの子たちが中学に入って、野球部に入るんですが、他の小学校や他の強豪チームからも入ってきた子たちを押しのけてレギュラーを取り、しかも県大会で上位に入るぐらいの面々だったんですね。勿論、中学に入ってからの努力量も半端なかったんでしょうが、まあ采配が下手すぎて。「練習もさせたことがない癖にそこでバントの指示を出す?」みたいなことを平気でやってましたわ(爆)。

…なのに自分のミスは認めずに、負けたらその選手たちのせいにして長々と説教をする。ついでに補欠の我々にも全体責任で押し付けてバットで尻を叩かれる…みたいな事が多かったのですね。さすがに他のチームメイトも、顔や頭をグーで殴られり、ビンタをされたことはなかったんですが。でも、たぶんそれをやられたら「あいつ(私の事です)は、親に真っ先にいいつけるに決まってる」と思われてたのと、PTA会長をやってたんで、そっちの方で体面的にまずいって思ったんでしょうね。ただ、理不尽な事で怒鳴られり、全体責任みたいな事をやられた回数は何十回ともあったんで、今も私自身は「スポーツは、やるものではなく見るものだ」と思ってるんですが、そう確信したのは既に小学校の頃、だったぐらいでした。

よくありがちな「ワンマン監督」でした。

まあ私や親友たちは面と向かっては勿論言いませんでしたが、陰では監督のことを呼び捨てで呼んでましたし。親友は左翼手のレギュラー、私はその控えだったんですが、守備練習の時に喋り倒してましたし。で、その態度で叱られたりとか。まあ大人になってからわかりますわ。かわいい要素がひとつもないし、野球を一生懸命でもない。でも頭数的には賑やかしでいないに越したことはない…では、そりゃ睨まれますよね?(笑)

その後、4つ下の弟が、私が中学か高校に入った頃にここのチームでプレーしてましたが、弟は睨まれるようなことはしなかったらしいです。ただ、弟にとっては非常に教え上手な、コーチをやっていた同級生の親父さんがいてその人を慕いつつ、少しずつ守備や打撃が向上していったそうですが、ある時、ここの監督とコーチが見解の違いでケンカ別れしてしまい、弟は卒業までチームには在籍してたけども、そのコーチが辞めてからはサボりまくってたそうです。

結局はどうもよくありがちな「ワンマン」だった人で、それは選手に対してだけではなく、コーチに対してもやらかしてたらしいんですね。それを母親から聞いて「ったく、あの人、全く変わってねえ」って失笑したもんでした(笑)。

うちの母親がPTAの役員になったことがありました。

それから30年。10年ほど前に成田に帰省した折に、妻と車でそこの練習場の公園まで見に行ったことがありました(当時は自宅に車がなく実家の親の車を借りました)。そしたら、チーム名もユニフォームも変わっていて、その監督もいませんでした。

帰宅後、親に尋ねたら、少し前に、同じ小学校の学区にもうひとつ少年野球のチームがあって、そこと合併して新しいチーム名になったんだそうです。おそらくその時に監督も交代したか勇退したんではないか…と言ってました。

うちの母親なんかは、一番上の私と一番下の妹が6学年離れていて、私の入学から妹の卒業まで同じ小学校に12年間もPTAやら保護者会やらで参加をしてましたので、何度かPTAの役員になったことがありました。記憶に残ってる限り、私が在学してた6年間ではなかった(せいぜいベルマーク委員かバザー委員ぐらいですかね)んですが、私が卒業した次の年、弟が小3、妹が小1の時にくじびきで当たった…もとい、役員を仰せつかりまして、この監督=PTA会長のもとで役員幹部を務めてました。

で、この時にこのPTA会長を評して親が言っていたのが、

・とにかく行動力があって、こういうのが好きな人なんで常時、学校に行って校長・教頭とかと連絡を取り合っていて、そこらへんは凄い人である。会社勤めではなく自営業なので何かがあるとすぐに動けるのは貴重な人材である。

・とにかくワンマンで自分の思い通りに進まないと機嫌が悪い。

・少年野球や女子バレーボール等でのコーチになった人を腹心の部下のように操るので、あまり保護者筋的には評判がいいとは言えない。

・ただ、何か重要局面に差し掛かった際に、選んだ選択肢が大概ハズレでトラブルメーカーでもある。そして責任はめったに取らない。

…と。中学の頃こういう話をしてたのを聞いて、「監督ん時と変わらねえじゃん(特に最後の部分w)」って笑った記憶があるんですが、でもこうして大人になり、ともすれば「やり手・引き受け手がいない」事も多いPTAの現状を見ると、「あー、癖はある人だったけど、わざわざ買って出る、いいとこもあったんだな」と思うようにもなった次第でした。あとはうまくこの人をフォローする「番頭役」さえ据え付ければ。

※ちなみにその監督のお宅も、一番上の息子さんと一番下の娘さん(私の一つ下)が6学年差で、やはり12年間もここの小学校に子供さんがお世話になってたそうです。そりゃ「勝手知ったる」になるわw

「なり手がいる」事自体がありがたい、のかも(苦笑)

結局、うちの親は成田ニュータウンから隣町の住宅地に引っ越した後に、町内会の役員ほやはりくじ引きで選ばれて1年2年ほど務めたそうなんですが、母親は好きではないけど、まあやれと言えばやるわ…でも愚痴も多いけどね、というタイプだったんで、最終的には、町内会の知り合いができて、当時は犬も飼ってたので飼い犬繋がりでのお友達ができたのは幸いだった、と言ってました。犬は10数年前に亡くなって今はいないんですが、朝夕の散歩の時には飼い犬の散歩で歩いてるご近所さんと会ったりして立ち話をするのがストレス発散だ、とも言ってましたんで。

私自身は、今住んでる町内会は嫁の実家なんで嫁の親が入ってるんですが、ご近所づきあいは挨拶したり立ち話をしたりはしてますけど、町内会のイベントはあまり行ってません。春と夏に近所の公園で花見・盆踊りをする際には顔を出してやきそばを買ったりする程度ですね。それとここの町内会、元日になると軽トラックでお囃子の人たちや、獅子舞がご近所を回って、来てくれるんですね。ここ数年、我が家は喪中なんでやってないんですが、喪中ではない年は各世帯がお菓子やお酒(一升瓶の清酒を買ってきたり)を用意して、それを振る舞ったりしています。これ、嫁が生まれる前からずーっと続いてる伝統なんだそうですね(市内に幾つもある町内会でそれぞれ軽トラと獅子舞とお囃しの皆さんが回ってるんだそうです)。

↑2014年の元日の獅子舞さん。当時うちの息子は生まれて3ヶ月ぐらいの赤ん坊でした。

たぶん嫁の親がもうちょっと老けて、ご町内でも世代交代を余儀なくされたり、うちの子供が幼稚園や小学校に通ったりする年齢・学年になったら、私ら夫婦にも声がかかってくるんでしょうね。

こういう「仕事」は嫌いじゃないけど…。

昨年まで約25年近く、クイズサークルの幹事をやってました。そのサークルを作った人間でもあるんですが、事務方の大半を任されていて、広報も会計も設営も仕切りも人間関係の調整も…と、いろいろとやってました。事実上の「番頭役」でした。

まあ「やらされた」感はあまりなく、自分の好きなようにカスタマイズしてやってましたが、家庭の事情と「もう25年近くやってきたから世代交代でもいいじゃね?」という事で幹事を退任、最終的には会自体も辞めてしまいました。

去年の年末に総会が開かれて今後どうするのか…という話し合いも行われたそうなんですが、私がやっていた業務の大半は「あれはむろかつしかできないから誰かが引き継ぐなんて無理」と、私が消えた半年の間に殆どの業務の刷新化を図り、今、はてなブログで運営している会の公式ブログも閉鎖することになったんだそうです(それに伴い、シガラミがなくなったんで、現在、ここのブログを、はてなを抜けてWordPressへの移転作業もしてるんですけども)。 残った面々が各人、無理のないスタイルで継続するには、どうしても私のやり方では誰かがパンクしてしまう、ということだそうです。

それ自体は「まあ仕方ないんじゃないの?」と率直に思いました(冷たい言い方をすれば実際は100%の円満退会ではなかったので「もう俺にはカンケー無いし」って側面も実はあります(爆))。各人、仕事や家庭を抱えつつの趣味ですので、こちらに費やす時間も、それらの業務を覚えて、自分のやりやすいようにカスタマイズする時間も「ない」のは仕方がない、のでしょう。中には私の事を「あなたは天才だからこれが全部できるんだ」と言っていた人がいましたが、まあ1500%、皮肉でしょうしね(泣)。

一応、こちらの業務が、私の「趣味」においての7割近いウエイトを占めていたので、これらのノウハウは既に体で覚えてしまっており、仮に息子の学校のPTAとかに参加して業務をやれ、と言われても、そこのやり方に馴染むのに多少苦戦はするかもしれませんが、「できなくはない」と思うんですね。

むしろ私自身は縁の下の力持ち的な役割が好きなようですので、もしくじ引きで当たってしまった…もとい、選ばれてしまった際には、逃げずに1年ぐらいはお努めさせていただきたいな、とも思ってます。

しかしそう思うと、このおっさん、少年野球の監督をやり、女子バリボーの監督をやり、子供さんの通うPTAの会長をやり、更に早朝野球も現役でプレーしていて…って、単純に「本人の趣味」だけでいえば物凄く充実してたし、「この手(特にPTA)のことが苦手な人」ほど、実はこの人の事を重宝してた人も少なからずいたんだろうなあ…。大人になってちょっと見直したわ、30年かかったけど(笑)。

あれから30年。さすがに生きてねえんだろうな。

で、私がここの少年野球のチームを卒業して今年で丸30年になります。

卒業記念に貰ったブロンズトロフィ(バットを構えた打者みたいな奴でした)は、未だに実家のいろんな日本人形とかが飾ってあるガラスケースの中にぽつんと置いてあるんですが、果たしてこの種村直樹氏に似たような監督兼PTA会長は生きてるんだろうか…。

あの時に仮に50歳として、今年80歳か。あんだけ朝からタバコスパスパ、缶ビールぐびくび行ってた不健康のカタマリのような人が無事に生き長らえているとは思えない(種村氏も晩年は二度のくも膜下出血などで病床でしたし)。ただまあ、憎まれっ子世に憚るとも言うし(失笑)。

▼クリック頂けると励みになります!
にほんブログ村 サッカーブログ ヴァンフォーレ甲府へにほんブログ村 サッカーブログ Jリーグ(J1)へにほんブログ村 野球ブログ 千葉ロッテマリーンズへ

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で
スポンサーリンク