昔、小・中学校時代の給食が「とにかくまずくて」辟易してた私。

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あるある!「嫌いな給食のメニュー」ランキング 1位は大差でアレに…(しらべえ)

小・中学校の頃は千葉県の成田市に住んでたんですが、とにかく給食がまずくてまずくて…。

小学校の頃など給食を食べた人は多いだろう。好きなものをおかわりをするために奪い合いをしたこと経験もあるのではないだろうか。

しかし、一方で「食べたくない…」とテンションが下がるメニューもあったはずだ。

しらべぇ編集部は全国20〜60代の男女1,340名を対象に「嫌いな給食のメニュー」を調査。その結果をランキング形式で発表しよう。

で、リンク先では、グリンピースご飯だの、レーズンパン、酢の物、それとご飯に牛乳は合わねえだの…の最後に「1位」はレバーって結果が出てました。まあレバーは私は嫌いじゃなかったんですけどね。焼き鳥でよく食べてたんで。ただ、酢の物はダメだったなあ。給食当番の奴に「頼むから、それの汁がご飯にかかんないように盛って」とか言ってた記憶が。

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とにかく給食センターの給食がまずくて閉口…。

今もそうだと思うんですが、うちの地元の成田市って、旧市街地(というか成田ニュータウン「以外」の地区)と成田ニュータウンでかなりの差があるそうで、成田ニュータウンって、成田空港ができるってんで何もない不毛地帯に無理やり作った町なんでとにかく印旛沼という日本有数の汚い沼から水道水を取ってるんでカルキくさくてひどかったし、うちも含めて友人の家にもかなり早い段階から浄水器をつけてましたねえ。今は知りませんけど(これ、30年前の話なんで、今はたぶんカルキ臭くせずともうまくおいしく飲めるようになったかもしれないし)。

で、その影響かどうかは知りませんが、私が通ってた成田ニュータウンにある小・中学校はニュータウンの給食センターからトラックで運ばれてました。ニュータウン以外の学校は自分の学校に給食室があって作ってたとこなどもあったらしいんですけども、ゆえにできたてを食べられるわけではなく、「ご飯がべしゃべしゃ」とかもありましたし、どうも変なメニュー、変な味付けなメニューが多かったような記憶が。

確かに焼きそばとか、秋刀魚の蒲焼など好きなメニューもあったんですが、いかんせん嫌いで食べたくないメニューばかりでやはりいい印象はほとんどない、ですね。あとはよく覚えてるのが、「肉うどん」でも「ミートソース」でも麺はいつも同じ種類のソフト麺、とかね(泣)

うちの母親が「試食」して絶句してました(爆)

そういえば昨日、こういう記事を見かけました。

50代女性教師にアウト!小4男児に給食を無理強い(日刊スポーツ)

「え、今時いるの?こんなアホな教師??」ってびっくりしちゃったんですけど。

富山県小矢部市の市立小学校で今年1月、嫌いな給食のおかずを残した当時4年生の男児に無理やり食べさせ、嘔吐(おうと)させたとして、50代の女性教諭が担任を外されていたことが分かった。教諭は男児に床掃除もさせていたという。

 同市教育委員会によると、教諭は1月の給食時、豆腐ハンバーグを食べ残した男児に「口を開けなさい」と指示。箸で口に押し入れたところ、男児は吐き出し、それまで食べていたものも吐いた。教諭は「自分で汚したのだから自分で掃除しなさい」と床掃除もさせたという。

 男児が汚れた服を持ち帰り、保護者が学校に抗議。学校は2月、「男児との関係が好ましくない」として、教諭を担任から外した。

 教諭は当時、食べ残しや好き嫌いをなくす指導などを担当する学校の給食主任を務めており、1月までに数回、男児に無理やり食べさせたことがあったという。

 同市教委の野沢敏夫教育長は「行き過ぎた指導だった。子どもや保護者につらい思いをさせ、申し訳なく思う」と話した。(共同)

ちなみに40代前半の私が小学生だったのは昭和50年台後半から平成に入る少し前まででしたが、こういう教師、いました。というか、小学校に入って最初のクラスの担任のおばちゃん教師が典型的なこんなタイプの先生で、本当に無理やり食わせるようなことをしてました。クラスメートがみんな泣きながら食べてましたもの。このおばちゃん先生、どうも定年間近で大正生まれだったらしくリアルタイムで戦時中の食糧難を体験した世代。ゆえに「戦争の頃はね…」が口癖でした。でも嫌なものは嫌でしたしね。昼休み終わって5時間目に入ってまでもぐもぐさせられたり…。

そこで悪知恵を働かせて、私は当時市販されていた100枚入りのビニール袋を適当に理由をつけて親に買ってもらい、それを使ってました。本当は怒られるシチュエーションなんですが嫌いなものがあったらそこにさっと入れて、黄色い手提げかばん(学校で支給されたものでした)にさっと入れて食べたフリをしてましたね(クラスメートの半分以上がそれをやってました。というか、私も友達がやってるのを見て真似て始めたんですけどね)。で、よせばいいのにそれを家に帰っても処分するのを忘れていて、母親が「変な匂いがするんだけど…あ。」って感じでバレたのを覚えてますねー。こっぴどく叱られましたわ。

でもその時にはっきり言ったんですよ。子供ながらに。「先生はそう言うけど、お母さんも一度食べてみなよ。あんなの食べられないって」と訴えたところ、これがたまたま偶然なんですがその直後に給食センターの保護者の向けの見学会が行われる予定だったんですね。そして試食もできるらしい、と。当時、妹はまだ生まれてすぐの頃で母親がおぶって他の小学校の保護者と一緒に学校からマイクロバスでその給食センターの見学会に行って、試食してきました。

で、学校から私が帰宅する前に母親が帰宅してたので、私が家に戻ってきて、母親は私の顔を見て開口一番こう言ったんですね。

「あれはひどい。どこをどうやったらあんなにまずく作れるのかしら」

と(苦笑)。基本的にうちの母親はそれほど手が込んだ料理は作らなかったんですけど(毎週7日間の晩ごはんのメニューが曜日ごとにほぼ固定されてましたから(笑))、その母親をしても食べ始めてあまりのまずさに「絶句」したそうで、一緒に行ったママさんたちと「これはひどいよね」なんてひそひそ話をしてたそうです。

親からは「黙認」、そして先生に言ってくれたそうです。

この結果どうなったのか、というと、我が家に関しては「こんなにまずいんじゃしょうがないよね。どうしても食べられなかったらビニールに入れてきなさい」と黙認されました。

更に担任に関しては、そのおばちゃん先生の厳しさは子供を通じて保護者も知ってた反面、そういう教師もいるよねー、自分らの頃はもっと厳しい先生もいたし…で及び腰だった保護者の皆さんがこの見学会から日にちを置かずに、学校に赴いておばちゃん先生に言ってくれたそうで、それ以来、昼休みを挟んでもぐもぐと無理やり食べさせられる事はなくなりましたね。たぶん「大人であり母親である保護者の我々も実際に給食センターでできたてのメニューを試食してみましたが、あれはいくらなんでもひどすぎる。子供がなかなか食べられないのも無理はないでしょう」と説得みたいな交渉をしてくれたんでしょうね。

それ以降は「とりあえず給食の時間内に関してはできるだけ食べる努力はすること。どうしても無理だったら残すなりパンなど持って帰れるものは各自、ビニール袋を持参して持って帰ってよろしい」というルールができました。子供ながらにほっとしましたねー。それまでが給食の時間が辛くて辛くてたまらなかったですから。

昭和50年代ならまだしも、平成の世で「それ」をやるとは。

ついでに書くとこのおばちゃん先生は、息子さんをバイク事故で亡くされたりしてこの翌年に退職して小学校の先生じたいを辞めてしまうんですが、私自身にとっては幼稚園から高3まで約14年間通じて最も「おっかない」担任の先生として今もトラウマのように怒鳴り声がインプットされちゃって(苦笑)。今から35年前の1982年3月に退職してる計算ので、計算上、定年を60歳とすれば、1922年・大正11年生まれ(関東大震災の前年ですわ)。生きてれば95歳…さすがにもう生きてねえだろうなあ(汗)。

その点、高校時代はお弁当だったし、大学時代は学食だったんで気は楽でした。うちの母親も弁当に関しては4パータンぐらいのメニューをローテーションしてましたし、学食はカレーライスがカツカレー大盛りが450円で食べられたんで入学直後から卒業間近まで学食の片隅にあるカウンター席のような1人席でウォークマンのヘッドホンをしつつ、本を読みながらカレーばっか食べてましたわ。社会人になって結婚してからは妻がおにぎりを作ってくれてたので、これとコンビニで買った小さいカップ麺を味噌汁代わりに毎日飽きずに食べてましたねー。

しかし思うに、この富山県の50代の教諭も、私らが子供の頃、いわゆる団塊ジュニア世代がそれこそ佃煮にするぐらいガキがいて「管理教育」がまかり通ってた時代ならばまだしも、今の平成の世にそんな無理やり食わすだの、吐いたのを自分で掃除するだの…をしたら問題になるに決まってるじゃん。しかも計算上、仮に52-55歳ぐらいの教師だとしたら、採用されたのはたぶん1980年台後半。既に管理教育の弊害が出始めて社会的な問題になりかけてる頃に新卒採用された教師が「これ」をやらかすんだから、時代錯誤というかなんつーか。たぶん過去にも何度か同じような事をやらかして、何人もの教え子にトラウマを植え付けたんだろうなあ…。

しかしどうやって怒鳴りつけるんだろ。この教師、おそらく昭和30年代生まれのハズで、戦時中の食糧難も知らないし、もしかしたら高度経済成長期「よりも前の」時代も子供の頃で覚えてないハズで、空腹で苦しんだ世代じゃないのに。あれかな「アフリカの子どもたちは飢えて仕方ないのにあんたたちは」という「ライブ・エイド」方式のアレ、だろうか。21世紀にも入ってもうすぐ平成も終わるかもしれない時代なのに。どうしようもない教師もいたもんだわ。

まあそういうわけで私自身は子供時代の嫌な思い出が多いんで、給食にはあまりいい思い出はないです。うちの妻なんかは小学校は同じ敷地内に給食センターがあってそこから運ばれたホカホカの給食を食べられたそうですし、中学校はお弁当だったそうです(今、現住地の東京都福生市では別のところに新しい合同の給食センターを作ってるor作る予定なんだそうです)。それを聞いて「いいなあ。あのクソ不味い成田の給食を経験しなかったなんてー」と大いにぼやき、それを聞いてただ苦笑いする妻がそこにおりました、はい(泣)

あれから(特に私が小学校を卒業してから)30年以上が経過してるんですが、成田の給食センターの料理の味とかは向上したんだろうか。いや、30年かかっても何一つ変わってなかったら笑うしか無いけどなー。

※ちなみに私の頃は牛乳はガラス瓶でしたが、近年はテトラパックになったそうです。キンキンに冷えてる牛乳を飲むのが大好きだった私としては、それもある意味で残念、かも。

以上です。

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