読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「人生、成り行き」

贔屓の千葉ロッテ・ヴァンフォーレ甲府を中心に、四方山話を書いている雑記ブログです。あとさだまさしとかも。

人生、成り行き

で、「ブロガー」と「メディアクリエイター」の違いは、「落語家」と「噺家」の違いみたいなものか?(爆)

ツッコミ 雑談

スポンサーリンク

http://www.flickr.com/photos/76758469@N00/3311385562

photo by Yuya Tamai

【2016/01/20 0時に加筆修正して更新しました】

ふと読んでて、ちょっと気になった記事があった。

www.issey-98.com

もともと↓のふたつの記事を拝読した際に話題になってた記事なんですが…。ちょっと私もつらつらと書いてみたくなった次第だったりします。

www.pojihiguma.com

www.hesocha.com

この方は「若い」方、らしいが…。

とはいえこれは「生物学的に」もしくは「戸籍に登録されている上では年齢が若い人」という意味で、別に知らぬ間に年食っておっさんになってた(泣)私からすれば、10代20代でも物凄くしっかりしてる人はいるし、50代60代でも無礼で幼稚で子供じみた人もいるので、あまり世代で大別しても特に意味はない、とも思ってるんですがね。

なので、好奇心もあっていろんなジャンルのいろんなブログを読ませてもらってますが「若いのにしっかりした記事を書かれる方だー」という人や「この人、50代なのにこんぐらいの知識しかないんだー」という人もいますね。正直に言えば。

で、勿論、年齢相応というか、悪く言えば、「いやあまだ若いな。この人の内輪の世界がすべて、外にも通じると勘違いしてるよ」という残念な人もいるのも事実ですが。 

ところで、「落語家」と「噺家」の区別ってわかります?

で、このブロガー、もしくはメディアクリエイター、の肩書みたいな名称についてブログを読んだ際に、ふと思い出したのが、この「落語を高座でしゃべることを生業(なりわい)としているプロの人たち」を指す言葉だったりします。

それは「落語家」と「噺家(はなしか)」もしくは「咄家(はなしか)」のいずれかなんですが、この違いってわかりますか?

wikipediaの「落語家」によると、

落語家(らくごか)は、落語を演じて視聴させることを職業とする人。戦前は、寄席がおもな活動の拠点で、グループを組んで地方公演も行っていたが、戦後はその話術を生かしテレビやラジオの司会業、パーソナリティなどの副業をすることも多い。「話家」「噺家」「咄家」(はなしか)は、「落語家」の古い表現である。

落語家の演ずる噺は大別して二種類ある。
1.落とし噺:噺の終わりに「落ち(「さげ」とも言う)」が有る噺。「落語」はこれに該当する。
2.人情噺:噺の終わりに「落ち」が無い噺。基本的に続き続き…で引っぱっていく。怪談噺等もこれに属する。

このため、「落語家」という表現は、厳密には 1. のみを語る者ということになり、1. 2. 両方語る場合「噺家」の方が適切な呼称であるが、1.に属する一部の噺も人情噺として捉える主張の存在もあり、現在は「落語家」で定着している。

こちらによると、「落ちがある噺も、ない噺も喋るプロ→落語家」、「主に落ちがない人情噺の落語を喋るプロ→噺家」という分け方はあるんだけども、今はほとんどが、1も2も持ちネタとして喋るプロなので、ま、「落語家」でも「咄家」でもいいんじゃないの?ってことになっているようです。

ただ、中には、この「落語家」「咄家」という呼び方にそれぞれ物凄く拘りを持っている落語家も存在するもので、

「落語家」にこだわる立川談志と「噺家」柳家小三治の違い│NEWSポストセブン

戦後落語界の中興の祖ともいえる立川談志は「俺は落語家だ」と、先年、落語界で史上3人目の人間国宝になった柳家小三治は「俺は噺家だ」と。共に拘りを持つ二人だったという話がここに。

「孤高の名人」といわれる柳家小三治は「落語家」ではなく「噺家」であるとことにこだわっているという。「落語家」と「噺家」、一体何が違うのか、『現代落語の基礎知識』などの著書をもつ広瀬和生氏が解説する。

  * * *
 「落語家」か「噺家」かという問題に関して、明確に線引きをしている大御所が二人いる。立川談志、そして柳家小三治だ。

  談志は著作の中では「噺家」と「落語家」と両方の表現を混在させているが、自身については「噺家なんぞと呼ばれたくない。俺は落語家だ」と語っていたことがある。「私ほど落語に深く興味を持った者は過去一人も居るまい」(『談志 最後の根多帳』)と断言する家元ならではの強烈な自負心の表われだろう。

 「落語とは人間の業の肯定である」と定義づけ、自身の活躍で落語が「能のようになる」のを阻止した「中興の祖」談志には、確かに「噺家」より「落語家」が似つかわしい。

  一方、小三治は「噺家」だ。

  昨年落語協会会長に就任した小三治は、誰もが認める「孤高の名人」だが、「噺のマクラ」が異様に長いことでも知られている。ときに「早く落語に入れ」と苛立つ客もいるが、ファンはその「長いマクラ」を愛している。マクラを集めた本はベストセラーだし、玉子かけ御飯へのこだわりや駐車場のホームレスについて語った「マクラのCD」も売れた。

  1時間も随談だけしゃべって落語を演らずに高座を降りることも、ファンにとっては充分に想定内だ。
  
  あるとき、その「長いマクラ」で確定申告について延々と語っているうちに、職業欄の話になった。

 「私は落語家って書きたくない。噺家と書きたい! でも噺家って書いたら税務署から電話が掛かってきた。『クチアタラシイ……何です、これ?』って。そんなとこに税金払いたくないね!」

  これには笑った。落語家と呼ばれたくない、という小三治の主張は一貫している。

 「だいたい落語家なんて言い方、昔はありませんでしたよ。昭和初期には噺家と書いてた。『落語家』と書いて『ハナシカ』とルビが振ってあったモノもある」

ちなみに両師匠とも、師匠は5代目柳家小さん。落語界初の人間国宝になった永谷園のお味噌汁のCMで有名だった大師匠だったんすね。つまりは、談志・小三治両師匠は、もともとは同じ小さん一門の兄弟弟子だったというのが非常に興味深い点だったりします。

※余談としては、「小三治」というのは小さんを継ぐ人が前に名乗る出世名なんですが、談志は小さんに「小三治をくれ」とねだるも、「お前は落語はうまいが素行が悪いからやらん」と断られて、この弟弟子が受け継いだという逸話もあります。で、今の小さんは先代の小さんの息子さんが襲名しちゃったんですけどね。

↑40数年前の、小さん-談志-小三治の「蒟蒻問答」のリレー落語という物凄い貴重な映像です。 

勿論「メディアクリエイター」なる肩書を名乗るのはあんたらの勝手だが…。 

これを思うに、まあ「メディアクリエイター」なる言葉は、否定はしないし、勝手に名乗ってれば?とは思うけど、だからといって高揚感たっぷりに既存の「ブロガー」をdisるような書き方は正直感心しない。

それはフランス革命での「アンシャンレジーム(旧体制)を打破して新体制を作っていこう」、テニスコートの誓いでの「時は来た。錨綱を切れ!」とか、幕末の志士・坂本龍馬「日本の夜明けは近いぜよ」みたいな言葉を吐きたくなる気持ち…はわからんでもないんですが、この人の記事に関しては、

書き方・disり方・その他全てが何処かで見たパターン。

のはこの人はどう言い訳するんだろう?と。 

ぶっちゃけていえば「そのパターン、もう何度も見てるぞ。誰の影響だ、誰のサルマネだ?」としか見えないんですわ。更に誤解を恐れずに言えば、

何も「クリエイト」すらしてないやん(爆)

と。「なるほど、名前負けなんですね。わかります」と(汗)。

むろん「くだらんからやるな」とは言わないし言えないですよ。しょせんは「他人」ですしね。かくいう自分だって、この人たちと同じぐらい年齢の頃、もっと熱かった時代もありましたしね(当時はブログはなく、ホームページを自分で持って日記をしこしこと書いてた時代でしたが)。ただ、

何も成し遂げてないのにまだ早くね?

という気持ちは否定できないのは…なぜだろう。

つーか、日本人って横文字好きだよね? 

昨年、なぜか爆発的にはてなブログ内外で流行した(?)、「ミニマリスト」もそうでしたが、本当に日本人って"格好良さげな"横文字が大好きだなーって思いますわ。

と同時に、無批判にそこに飛びついて「俺って流行の最先端。お前ら、まだ古いやり方で消費してんの?」的なパターンで、自己満足の範疇で完結すりゃいいのに、よせばいいのに源平合戦の平時忠の「平家にあらずんば人にあらず」が大好きだよなーとも。そしてイケハヤ先生(私は面識はありませんがあの人のブログはおもしろくて好きですね)がブレイクすれば、何も考えずにイケハヤ先生のサルマネで煽って挑発気味な文面を書く…みたいな。

いや、気持ちはわかるんですけどね。でも「自分以外に発信する」んだったら、もうちょっとやり方があるだろうよ、と。あんたらの頭の中身の脳みそはアンコでできてんのかい?みたいな。 

そんな「肩書」を勝手に乗っ取られちゃった話も。

以下は余談ですが。

かつて毎日新聞の国鉄番記者だった種村直樹氏が趣味が高じて(?)鉄道旅行系のフリーライターでメシを食って行こうと決めた際に名乗った肩書が「レイルウェイライター」というものだったんだが、これと同じなんじゃね?とだけ思っています。

ついでに書くと、同じ時代に(のちに鉄道ファンには、種村氏と共に二大巨頭として知られることになった)、処女作品として出した「時刻表20000キロ」が大ヒットして、同じく趣味が高じて(?)中央公論社の名編集者で当時は同社の常務から同じく鉄道紀行作家に転身した宮脇俊三氏は単純に「(鉄道)紀行作家」と名乗っていたらしいんですが。

ついでに書くと、種村氏はこの「レイルウェイライター」という肩書で亡くなるまで約40年間、フリーライターで活躍してきたのですが、同時代にこの肩書を名乗った同業者はいなかったらしく、この肩書をあえて商標登録とかはしなかったらしいんですね。この商標登録とかしなかったせいで、現在は、

raity.hateblo.jp

種村氏とは全く関係のないフリーライターが種村氏のご遺族に無許可でそれを自称している、という次第だったりします。 ま、そういうこともあるんだなあと。

ま、今後頑張ってください。

とはいえ、「肩書」なんかで人はその人の記事は読まないですしね。おもしろい記事を「今後、クリエイト」してくれればいいだけの話ですし。

ま、私自身は自分の「肩書」は何も成し遂げてないし、今後も想像する才能もその気もないので、ブロガーでもモノカキでも天狗連でも暇人でもなんでもいいですわ。

※なお意見には個人差があります(byさだまさし(←をい))

落語研究会 柳家小三治大全 下 [DVD]

落語研究会 柳家小三治大全 下 [DVD]

 
努力とは馬鹿に恵えた夢である

努力とは馬鹿に恵えた夢である

 

▼クリック頂けると励みになります!
にほんブログ村 サッカーブログ ヴァンフォーレ甲府へにほんブログ村 サッカーブログ Jリーグ(J1)へにほんブログ村 野球ブログ 千葉ロッテマリーンズへ