昨日、同い年の友人のお通夜に行ってきた。

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Twilight

昨日の夕方、クイズサークルでご一緒することが多かった趣味方面の友人のお通夜に行ってきました。

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暮れなずむ車窓を見ながら常磐線で…。

趣味系の友人訃報を聞いたのは3日前の深夜。聞いた瞬間絶句してしまったんですが、何かとお世話になった友人でもありますのでぜひお通夜だけでも、と思いまして日程調整して行くことができました。

最寄りの牛浜駅から青梅特快で東京駅まで出て、上野駅から常磐線に乗ろうと思ってたら、「上野東京ライン」のおかげで最近は東京駅から常磐線快速に乗れるんだなとびっくりしつつ、東京駅から「高萩行き」と聞きなれない行き先の電車に乗りました。友人の住んでいた街にある茨城県の某駅までは約50分。そこから歩いて10分ぐらいのセレモニーホールへ。

お通夜はおおよそ1時間ぐらいでしたが、ご親族と職場関係の弔問客が非常に多く、たぶん一般席の余裕はないだろうから廊下で立ちつつ焼香させてもらってから帰ろうと思ってたら、一般客では到着したのが早かったらしく(お通夜の始まる15分ぐらい前に着きました)、身内席の一番後ろの列に「一般の方もどうぞ」と勧められたので座らせてもらって、焼香し、お経を聞きながら故人のことなどをいろいろと考えてました。

ちなみに私よりも後に来た一般の弔問客の方々は一番後ろの列や廊下に繋がる通路に椅子をおいてもらってそこに座ってお経を聞いていました。私の直接の知り合いは皆、明日の告別式に参列するらしく知り合いはほとんどいなかったんですが(大学や社会人のボードゲームサークルの方が多かったようです)、顔見知りが1、2人いたので目礼したり軽く挨拶したり。

趣味系では珍しい同い年・同学年の友人だった。

友人氏は4年ぐらいの付き合いで年が同い年。クイズサークルの友人ではボードゲームのサークルなどで20年近い付き合いの人がいたらしくその方々を介してクイズサークルに遊びに来てくれたらしいです。当時、クイズサークルでは会報を出していて、3年に一度、会員・常連メンバーを対象に自己紹介名簿という自己紹介原稿を出してもらって載せてたんですが、「好みのタイプの芸能人」のとこに「新垣結衣」と書いてあって、「いやあ、気が合うねえ、僕もなんだよ。」「かわいいっすよねー、あの子」なんて笑いあった思い出も(苦笑)。

私自身、趣味関係の友人で同い年というのが実はそれほど多くはなく、前後1年違いは両手両足に余るぐらい居るのに、同い年・同じ年度の人が本当に少ない。その中でこの人は誕生日が2週間違いぐらいで、興味の範囲やそのテイストがやたらと近かったんで仲良くさせてもらっていました。

棺の中で眠る友人の顔を見せてもらった。

お通夜が一通り終わった後、一般の弔問客にお顔を見せて頂ける事になったのでご両親にご挨拶。「前に江戸川区でやってたクイズサークルでご一緒してまして…」と伝えると、ご存知だった様子。そして同い年だったこともお話して、お顔を拝見しました。

自分が知ってる友人氏はふくよかな顔をされていたが信じられないぐらいほっそりとなってしまわれていた。「最後は何も食べられなくなってしまいました」と説明してくださったのは友人の妹さんでした。内臓系のご病気だったそうです。

その後、通夜振る舞いのお誘いも頂いたのだが、頂いてると帰りが遅くなってしまう(何せ最短時間でも片道2時間もかかるので)ので、ご辞退させていただいて帰ることに。日暮里まで常磐線快速、新宿まで山手線、立川まで「あずさ」に乗って22時前に帰宅することにしました。

親御さんもご兄妹もうちの家族とほぼ同世代だった。

帰りもひとりで静かに考え事をしたく常磐線のグリーン車に乗りました。

車内で、ずーっと考えてたのは、昨年春に、我が家ではおばあちゃん(妻の母)を朝、気分が悪いといい始めてから30分後には心肺停止、2時間半後には搬送先の病院で臨終宣告を受ける…という文字通りの「急逝」で失い、その当日に警察署に行ったり(自宅で緊急搬送される直前に心肺停止状態になったので調べる必要があるんですね)、葬儀屋さんに打ち合わせしに行ったりと、おじいちゃんと息子を妻に見てもらってるので私がほぼ一人で動いてた事…を思い出していました。

実は嫁には兄貴が居るんですが神奈川に住んでいて、義母が亡くなった当日は仕事だったので仕事が終わってから夜に来ることになっていて(職場の上司に話をしたら「職場は心配しなくていいから、今すぐ実家に帰れ」って言われたそうで。でも取り込み中の仕事があったんでとりあえず夕方までは仕事をして帰省してきたそうです)、私が葬儀屋に遺体を運んでもらい霊安室で末期の水をやるまでを一人で仕切り、それ以降の通夜・告別式・四十九日・お墓…などは全て義兄に託した、という経緯がありました。

この亡くなった友人は長男だったそうです(上記に書いた「会員名簿」を確認したら妹さんが二人いたそうです)。友人のご両親・ご家族は、私と同年齢ゆえに、やはりうちの親と同世代のように思え、お顔を見せてもらった時にご説明してくださった友人の妹さんも、やはりうちの妹と同世代のように思えた、と。

正直、いたたまれない。

そして、ふと頭によぎったのは、

「喪主であるこの友人のお父さんは、息子さんの死をひとまず受け止めて、このような葬儀屋さんに行ったり(もしくは自宅に葬儀屋さんに来てもらったりして)して、息子さんの通夜告別式の打ち合わせをしてたのだろうか」

…と。実の親ではない嫁の親の死の時ですら違和感と押し寄せてくる「何か」と戦いながら(そして為す術もなく)時間だけが刻一刻とすぎていく「現実」の怖さと残酷さ。気づけばやらなくてはならぬことがどんどん山積みとなっていく怖さ。

でもこれは自分よりも先の時代に生まれ、先にこの世から去っていく宿命や定めのようなものでもあり、そして将来的に実の親を送る時の参考にするための「通過儀式」として割り切ってやっていたのですが、それでも電話やスカイプ等で私と話をした連中は口々に「君は気付いてないかもしれないけど、今、躁状態に入ってて、少し壊れつつある。だからちょっと落ち着け。嵐が過ぎ去った時にガクッとくるぞ」と忠告してくれたのをよく覚えています。そして実際にそうなったのも。

それと同じことを、ひょっとしたら友人のお父さんは経験してたのかもしれないな、と考えてしまった。しかも自分の親ではなく自分の子供の死を看取り、通夜告別式の打ち合わせなど、淡々と物事を勧めていかねばならない…ということを。そして今は、告別式を終えて、一段落した時にガクッとくるかもしれないことを。

それを思うと、もういたたまれなくなり、常磐線グリーン車から見える車窓を黙って見つめるしか他なかった次第でした。そして昨日の夜は、なかなか寝付くことが出来ませんでした。

それにしてもあまりにも早すぎる。

それにしても享年42…。戦前や戦後間もなくの頃であればまだしも、平均寿命が80歳に手が届いている現代では本当に早すぎる。

未だに彼の陽気なおしゃべりや、笑い声がリアルに思い出せて、とても死んだとは思えない。正直、お通夜の時よりも帰りや帰宅した後の方が沈思黙考して「堪えてた」自分がそこにいたのだった。

黙祷。

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