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「人生、成り行き」

贔屓の千葉ロッテ・ヴァンフォーレ甲府を中心に、四方山話を書いている雑記ブログです。あとさだまさしとかも。

中学ん時、部活動が校則で「強制」されてましてねえ(苦笑)

日常 雑談

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http://www.flickr.com/photos/29312295@N06/8227299850

photo by dingatx

なぜ中高の「部活動」は"強制"になったのか? | オリジナル | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

前の話で「学区」の話になったので、ふたたび地元の思い出話なども(苦笑)

高校時代はそうでもなかったんですが、中学の時は部活動が「強制」されてましたね。中には帰宅部を作ってそこの部長になった、と自称してた猛者もいましたが(爆)

1.とにかく帰宅部の生徒にはうるさい学校でしてね…。

以前、中学入学と同時に吹奏楽部に入ったんだけども、希望した楽器をやらせてくれなくて辞めた、と言う話は記事で書いたことがあったんですが、

raity.hateblo.jp

この前後の話っても実はありまして、「夏休みの吹奏楽部の練習からどうエスケープしたか」とか「吹奏楽部を辞めて、文芸部にスカウトされるまでの放課後、校舎を出るまでの脱走劇」みたいな話もありました(爆)

手書き図みたいな絵で申し訳ないんですが、当時の通ってた中学校はこんな感じの配置図でした。

f:id:tony_togo:20150922201252j:plain

3階建ての「コ」の字の校舎に体育館がついていて、図でいうと左側がグラウンド、右側が裏門で、すぐ横には県営団地があり、裏門を右に曲がると歩道橋を渡って、階段を降りると大きな公園に繋がっていた…というとこでした(中学校がやや高台に作られていたんすね)。

で、吹奏楽部の練習からエスケープした話はあとにするとして、毎日の放課後、何があるか、といえば、学年主任の先生が見張ってるんですわ。3階の図書室の窓から(誤爆)。

2.裏門に通じる通路を抜けると「アウト」みたいな(爆)

結論を最初に言うと、この学年主任の先生=1年の時の担任の先生で、私を文芸部にスカウトして、結果、ほぼ卒業までここでお世話になることになっちまったんですが(失笑)。まあ先生もしつこいしつこい。まず放課後のショートホームルーム(学活とか言ってましたね)で、一発釘をさすわけですわ。「お前ら、わかってんな」と。

で、例えば「耳鼻科に」とか「習い事が」というのは勿論使えるんですが、さすがに毎日ってのは厳しい。そしてうちの中学校、校則で部活動が必須になってたので、帰宅部と思わしき生徒はクラスで数人。でも我々も好きでやるわけではない部活に参加すんだったら、どーしても逃げてやる…と思うのも思春期たるガキの人情と言うもので。まあいろいろと策を練りましたね。

で、先輩方もそれは経験してるので、やはり逃げるルートとしては、

1.裏門のすぐ横のフェンスをよじのぼって、県営団地を抜けて帰る。

2.図書室の窓から死角になるポジションからうまくすり抜けて帰る。

みたいな方法になるわけですね。

ちなみに言うまでもないんですが、正門は正門で毎日、生活指導のこわーい先生が張っていたので、正面突破はやはり厳しい、と(爆)。それと2-3学年用の昇降口の裏ってのも実はフェンスがあったんですが、ここは実は職員室の真正面なんでやはりここをよじのぼるのも馬鹿正直すぎて、さすがに無理みたいな話でした(失笑)。

3.かくして担任の先生との攻防戦がスタートと(汗)

最後は「部活動を卒業した3年生とかに紛れて帰る」という手もありまして、それも何度か使ってた同級生もいました。

ただ取り締まる方も馬鹿じゃないんですね。そのうち顔を覚えたり、最初は学生服(男子はガクラン、女子はセーラー服でした。共に灰色の(苦笑))の名札が、ピンで留める奴だったんですが、無くす奴が多かったのと、学年別に色分けしたかったんでしょうね。そのうち、名札が学年ごとに色枠が違うやつを「縫う」ようになりまして、取り締まる方からすると「あいつの名札は赤枠だから1年生だ」みたいなことに(その年に卒業した学年の色が翌月入学してくる学年の色になるんですね。つまり色は3種類でした)。

私自身がよく友達とやったのは、「ギリッギリまで2-3年の昇降口隣にあった、裏門に通じる通路を抜けて、更に図書室や音楽室の下(1階には木工室・金工室という技術科で使う教室がありました)」の壁沿いにカニ歩きで歩いて、図書室の窓からの死角を狙い、最後は体育館の裏側のフェンスをよじのぼって、県営団地を抜けて…みたいな方法でしたね。

で、その県営団地を抜けると、ちょうどよいポジションにショッピングセンターがあったので、悪友に勧められてなけなしのお小遣いから、当時30円のミニホットドッグとか、50円のコロッケとかを買って「買い食い」するようになったのはたぶんこの時期からなんでしょうね、たぶん。

それがしばらく続くとどうなったか、というと、担任がSHRが終わった直後に、我々帰宅部数人をすぐに捕まえて言うわけですな「ちょっと図書室まで来い」と。

4.始まったのが「勉強部」という部活でした(爆) 

連れて行かれたのは図書室でした。担任が顧問をしている文芸部のホームグラウンドになってるんですが、用意されてたのは、5教科のプリント。

「何スか、これ。先生」

「あー、今日から勉強部を立ち上げた。お前らこれやったら帰っていいぞ」

(;゚д゚)!!!

あまりに業を煮やした学校側が、「じゃ、図書室に強制連行して、そこで何かプリントをやらせて勉強部ってことにしょうじゃないか」と思いついたらしいんですね。

ただ、逆に言えば正解と照らし合わせとかはやった記憶はないのと、提出すればとっとと帰れる、という意味では「なんだ1日30分の部活動で済むんだったらそれでいいじゃないか」…と、大人になった今の私だったらそう思うんですけども、

当時はこれが不愉快だったんすねー(誤爆)

しかしも帰宅部の大半は劣等生。6時間授業の勉強も苦痛で、更に体を疲れさせる部活動なんかまっぴらごめんだ、という生徒が大半だったので、出席率は無理やり捕まえても5割もいかなかったようで、放課後、担任がにらみを利かせて「お前らわかってんな」「はいはい→ありとあらゆる手で脱走して来ない」が繰り返されてたみたいでした。勿論、それほど劣等生ではなかったんですが(優等生でも勿論なかったですけど)、私も帰宅部の親友の付き合いで一緒に逃げてましたね。まあ勉強部というコンセプトじたいが不愉快だ、というのもあったんですけども。

5.そんな学校が「態度を懐柔」させる事件が起きました。

ただある時に、学校側がとある事を「やらかした」事件がありました。

それは、9月末か10月頭のある日、1年生全員をグラウンドの野球部のバックネットのあたりに並ばせて、校長が訓話を垂れる、というよくわかんない学年集会がありました。校長いわく「こっそり隠れて飴やお菓子を持ちこんでいる生徒がいる。すぐに辞めるように」とか「もうすぐ文化祭が近い」云々など。季節外れの暑さで「だったら体育館でやれよ」とか「早くおわんねーかなー」とだけ思った記憶だけはあります。

ところがこれ、実はこの裏で先生方が抜き打ちで1年生全員の持ち物検査をやってたんですね。この翌年に封切りされてヒットした映画(宮沢りえのデビュー作だったそうですが)の、「ぼくらの7日間戦争」でも冒頭に同じようなシーンがあるんですが、あれが行われていたんですね。

ぼくらの七日間戦争 デジタル・リマスター版 [DVD]

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男子も女子も鞄を開けられて持ち物を見られていた、と。中には校則違反なモノを持ちこんだ生徒は黙ってそのモノを没収されていた、と。

これに当時はバリバリの管理教育で多少の体罰もあった時代だったんですが、さすがに生徒側、特に女子が猛烈に怒りまして、保護者を通じて学校はもとより、市の教育委員会に苦情を入れる次第になり、かなりの大騒ぎになったんだそうです。私はそこまで変な物は持ちこむような生徒ではなかったので(給食当番の割烹着の袋に遊び用のゴムボールを隠して仕込んでたぐらいで(をい))、かなり後から聞いて「へえー」と思ったもんでした。

で、どうなったかというと、 この勉強部の話がなしくずしになってしまったんですね。時は2学期の中間試験前。部活動が停止になるので勉強部も中止となり、そのまま中間試験が終わっても勉強部も、生活指導の先生たちの帰宅部チェックもなくなっていました。どうも生活指導や管理教育が少し「ユルくなった」らしいんですね。これで。

その直後に文化祭があり、その文化祭が終わった後に、担任に「今、3年生が文化祭終了と同時に引退しちゃったから、入ればすぐに副部長になれるよ」と口説かれて、以後、文芸部に入って3年の終わりまで図書室に入り浸る…という生活が始まっていくのでした。そして帰宅部の奴は3年まで帰宅部のままで(以下略)。

6.吹奏楽部に入ってる頃にもよくバックレてました(爆)

1年生の夏休み中、だんだんと幽霊会員になっていくんですが、とりあえず朝だけ顔を出して全体練習が始まる頃に一緒に入ってた友人とバックレる、みたいな事もやってましたね。すぐ辞めりゃあいいのに(失笑)。

この時は、音楽室の窓からだとよく裏門が見えるので、体育館側のフェンスをよじのぼって、グラウンド側の団地(当時は日本航空の社宅の団地がありました)の中をこっそり歩いて、当時住んでた公務員団地のすぐ横に日本航空のグラウンドがありまして、よせばいいのに、そこのブロック塀をよじのぼって、最終的には友達んちでくっちゃべってましたね。あのわくわく感がたまらなかったんでしょうかねえ。すぐ辞めりゃあいいのに(誤爆)。

余談としては、そこの日航のグラウンド。たまーにレクリエーションで野球とかやったりしてたんですが、ほとんど空き地に近い扱いでバックネット等はあったんですけど近所の子供たちのたまり場みたいになってましたね。中には外野の土のところを使ってオフロードコースみたいなのを作ってラジコンコースみたいにして遊んでたやつもいましたし。で、後年、日本航空がいったん会社更生法か何かで会社を建て直しを余儀なくされた際に、中学校の近辺に会った、社宅や独身寮(10数階建ての大きな建物でした)、更にグラウンドを全て売却したので、現在は独身寮の跡地には大きなマンションが、グラウンドや社宅には一戸建ての住宅地が広がっています。まあもう27-8年前の話ですしね。

こないだグーグルのストリートビューで見たら、グラウンドは完全に舗装されて住宅地になってるのに、ブロック塀だけはそのまんまで「あー、これは残ってるんだー」とちょっと驚きましたね。

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↑こんな感じに。四半世紀前は水はけが悪かった野球のグラウンドだったんすけど。

たぶん今後も残っていくんでしょうねえ、ここは。

7.そして私らが卒業した後もそこは伝統として(苦笑)。

その後、弟が4学年下、妹が6学年下でそこの中学校に通ったんですが、どうもうちの母校、昔っから「荒れる」学校で有名だったらしく、私の代だけが前後6学年に比べて「奇跡的に穏やか」な学年だったそうです。とはいえ、逆恨みされた学年主任の先生(例の文芸部の先生ではない人でした)が、卒業前にワルだった生徒に愛車のクラウンをボッコボッコにされたんだそうで…。

で、先生や生徒が入れ替わってもそこらへんの部活や校則は変化なかったみたいで、一部ではここらへんの帰宅部との攻防戦を

「脱北」とか「北緯38度線」

とかいう輩がいたとか(爆)。いや、それはあまりにもネタすぎて眉唾もんなんすけども(失笑)。

ついでに言うと2-3年生の昇降口から裏門に通じる通路が妹の代になると塞がれてしまったんだそうですね。なので裏門を使う時には体育館の裏側とかを抜けて行ってるとは思うんですが…なんで塞いじゃったんだろうな。まさか帰宅部との攻防戦で(以下略)。 

8.で、今もたまに成田に帰るたびに車で近くに寄りますね。

3年ぐらい前まではペーパードライバーだったので、成田の実家に帰るたびに親父の車を借りて、最近は自家用車を持って福生から車で帰省するのでそのついでに、この中学校あたりを通って「懐かしいなー」と思ったりしますね。ちょうど中学校の道路を挟んで真向かいに大きな公園があってそこの駐車場に停めて、ぼちぼち歩いたりしてますね。校舎も外見は変わってないので、音楽室とかが同じ場所にあるんで、吹奏楽部の演奏の音とかが聞こえると「あー、変わらないなあ」なんて思ったりも。

さすがにゆとり教育とか言われるようになったし、こういう部活の校則とか、帰宅部の攻防戦とかはなくなってしまったんすかねえ。今年でそこの中学校を卒業して25年になるんですが、未だに記憶の中では25年も経ったとは思えないような鮮明さですわ。

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