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「人生、成り行き」

贔屓の千葉ロッテ・ヴァンフォーレ甲府を中心に、四方山話を書いている雑記ブログです。あとさだまさしとかも。

人生、成り行き

そんなことよりも「レイルウェイ・ライター」を「襲名」するんだったら、先に「やる事」あるだろ、と(呆)

雑談 ツッコミ

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修学旅行生置き去り事件-香取市立栗源中学校の行動に疑問-(岸田法眼) - 個人 - Yahoo!ニュース

先日、ここのブログでも取り上げた成田駅からN'exに乗り遅れて云々について、「レイルウェイ・ライター」を自称する人がつらつらと書いていた。

↓ちなみに私の記事はこちら。

raity.hateblo.jp

1.事件っていう話でもないんですが、まあ引用を(をい)

まあ引用するには長いんですけどね。

■事件は成田駅で起こった

千葉日報などの記事によると、香取市立栗源(くりもと)中学校の3年生や引率教師など39人は、2015年6月10日、JR東日本成田線成田8時28分発の特急〈成田エクスプレス4号〉池袋・横浜方面大船行きの先頭1号車に全員乗車するはずだった。

ところが、乗車を開始してから15秒で前触れもなく乗降用ドアが閉まり、25人が取り残されたという。時刻表をめくると、特急〈成田エクスプレス4号〉池袋・横浜方面大船行きの成田停車時間は1分だが、当日、なんらかの理由で数十秒遅れていたら、15秒停車に納得がいく。

成田駅には発車メロディーが備えており、車掌がボタンを押して鳴らしたはず。同校側39人全員が“まったく耳に入っていない”というのも不思議だ。鳴らし終えたあと、駅員によっては、「まもなく電車が発車いたします。閉まるドアに御注意ください」など、念を押す。

駅員が生徒の列が途切れたのをモニター画面で確認し、車掌に合図を送った点については、JR東日本がその映像を公開しない限り、当事者は納得しないだろう。

讀賣新聞の記事を見ると、同校の行動に疑問がある。

「生徒と教員、添乗員が1列になって先頭車両に乗り込んでいた。」

(出典:讀賣新聞「乗車する修学旅行生の列の途中、ドア閉まる」)
特急〈成田エクスプレス〉用のE259系は、乗降用ドアが1両につき2か所(グリーン車のみ1か所)あり、39人なら20秒以内で乗り込めるにもかかわらず、1か所に集中していたらしい。なぜ2組に分けて乗車させなかったのか首をひねる。同校が席をキープした1号車の定員は40名。貸し切り同然にもかかわらず、1か所の乗降用ドアに集中乗車させた意図がますます理解できない。仮に「生徒の安全を考えて、1か所に集中させました」と校長が説明したとしよう。それは、ただの言い訳に過ぎず、「列車に故意に遅らせようとした」という見方もある。「では、成田まで利用した各駅停車でも同じ行動をしたのか」ときいたら、「近くのドアから降りました」と答えるに違いない。

■急ぐ様子がない

特急〈成田エクスプレス4号〉池袋・横浜方面大船行きに乗れなかった25人は、成田9時05分発の特急〈成田エクスプレス6号〉池袋・横浜行きに乗り、東京へ。しかし、東海道本線戸塚で信号トラブルが発生し、定刻より42分遅れの10時35分に到着した。東海道新幹線10時23分発の修学旅行用列車に間に合わず、平等院鳳凰堂(京都府宇治市)に行けなくなった。

ここでも同校がとった行動に疑問がある。“急ごう”という姿勢が感じられないからだ。

成田で特急〈成田エクスプレス4号〉池袋・横浜方面大船行きに乗り遅れた場合、8時36分発の各駅停車千葉行きに乗り、途中の佐倉で特急〈しおさい6号〉東京行きに乗り換えると、終点には9時33分(平日は9時37分)に到着する。仮に戸塚で信号トラブルに巻き込まれ、定刻より40分遅れたとしても、終点到着は10時13分頃なので、少々急げば間に合うし、東海道新幹線を管轄するJR東海に連絡を取れば、発車を若干遅らせるなどの対応ができたかもしれない。

同校の引率教員や旅行代理店の添乗員は、“生徒のために”という意識がない。かつて、巨人軍は1993年8月6日に東海道新幹線で発生した作業車3両の脱線事故の影響で、〈こだま〉と在来線の乗継で名古屋へ移動し、ナゴヤ球場で試合を心待ちにしているファンのために全力を尽くしたが、残念ながら間に合わず、試合中止となった。

今回の事件はJR東日本に非があるのは確か。この日の当該時刻は、千葉方面の朝ラッシュが一段落し、駅員数人がホームから事務室に戻った可能性もある。しかし、新聞記事を読む限り、同校側の行動に疑問点がある。教師、生徒、添乗員が三位一体となって、あの日の行動を振り返り、問題点を洗い出す必要がある。

※本文に一部誤りがあり、修正しました。謹んでお詫びいたします。

とまあこんな感じに。これに関しては特に意見の違い等はあるので、「まあ、そういう意見もあるよね」という感じに留まる。ま、個人的には、栗源(注:佐原と銚子の間あたり。やや佐原に近い)から、成田にわざわざ出るぐらいだったら、貸し切りバス1台仕立てて、東京駅まで高速使って送ってやればよかったのに、と今は思う。

2.さてここからが「本題」です。

というか、個人的には、そんなのよりも気になるのは、この人物が自称してる「肩書き」の方である。

「レイルウェイ・ライター」

鉄道好きの30代後半から上の人は「ははーん」とここで気付く人はいるかもしれない。この肩書きは、昨年秋に亡くなった種村直樹氏が長年自称していた肩書きだったりするんですね。

ま、レイルウェイという名称自体が最早普遍的なもので「鉄道作家」ないし「鉄道紀行作家」と名乗る分には、古くは内田百間氏や、宮脇俊三氏など何人も先人がいらっしゃるからそれはいいんだが、この「レイルウェイ・ライター」に関しては、プロの鉄道紀行作家として40年近く、種村氏の「代名詞」だっただけに、「おい、この肩書きを簡単に使っちゃっていいのか?」というツッコミは禁じ得ない。

3.同業者が同じ名前・肩書きを名乗ることを「襲名」と言いますが…。

例えば、この種村直樹氏と同い年で有名な落語家で立川談志師匠がいるんですけどね(酒もタバコも大好きで「芸は最高、でも人柄はアクが強くて(以下略)」だったのは共通点があったようですな)。

この「立川談志」という落語家の名跡は、4年前に亡くなった例の師匠が7代目(ただし当人は師匠だった柳家小さん師匠が5代目だったんでそれに合わせて5代目と自称していた)で、先に6人の「立川談志」がいる。ちなみに談志を継いだのは師匠が真打に昇進する時で、それまでは前座の頃は「柳家小よし」、二つ目の時は「柳家小ゑん」と名乗っていたんですね。

ちなみに先代の談志は7代目が入門する2か月前に亡くなってるので、実際に会ったことはないらしいです。談志師匠も対談集で「先代の談志には間に合わなかった」と言っていたこともありました。

人生、成り行き―談志一代記 (新潮文庫)

人生、成り行き―談志一代記 (新潮文庫)

 

で、この前に誰かが名乗っていた名跡を「次ぐ」ことを「襲名」というんですね。

4.「襲名」するにはそれなりの「段階」を踏まなきゃいけない。

ま、この名前自体は落語家に限らず、歌舞伎でも大相撲でもプロレスでも、はたまたヤクザや的屋の世界でもよく使われるので、結構知られている単語ではありますが。

で、例えば落語家の場合、「襲名」する際に何が必要か、といえば、それは「先代ないし先代の遺族に挨拶・許可を頂く」という事なんですね。それはその亡くなった先代が背負っていた「看板」を引き継ぐという事もありますし、同じ業界でメシを喰ってるんだから、そういう義理人情は欠かせないわけです。

勿論先代が故人の場合は、毎度毎度の命日の日の墓参り、そして折々の法事の時の喪主(施主ともいいますな)をしたり…と、今後も「先代」とのつながりは切れないわけです。おそらく歌舞伎役者や大相撲、もちろんヤクザの世界も(苦笑)、より伝統を重んじる世界だとそれは重要になっていくものなんでしょうね。

また、先代の看板を背負うというのは、常に「先代の芸、人柄などと「比較をされ続ける」」という事にもなります。ゆえに例えば落語家でいえば、戦後から昭和40年代にかけて「名人」と呼ばれた8代目桂文楽師匠が亡くなった後、しばらくしてから、お弟子さん(この方は四角い顔で「ペヤングソースやきそば」のCMに出てたことで有名でしたね)が、大名跡が塩漬けになってるのを危惧した落語協会や寄席の席亭などから打診されて9代目を継いだんですが、そのプレッシャーは計り知れないものだったそうですね。「安易な大名跡の襲名だ」とか「セコ文楽だ」とか言われたそうで。

ゆえに、立川流の誰もが現時点では「談志」を継がない、継げないので、なかなか次の「立川談志」が出てこない、という現状らしいのですね。談志師匠ご自身は生前は、「もし継ぐんだったら志の輔かな」とおっしゃってたそうですが…。

ゆえにこの岸田氏なる人物が今後、種村直樹氏というこの鉄道紀行系のジャンルで一時代を築いた(ちなみに説明すると、宮脇俊三氏と共に昭和50-60年代はこのジャンルでの2トップのような存在でした)人物と、常に比較されるようなクオリティが高い記事を書き続けることの「覚悟」はできているのか?というのも試されるわけですね。

5.で、この人が種村氏を書いた記事があるのかと探してみたところ…。 

で、まあ落語家やヤクザの世界ではないのでここまでの「襲名」の手続きはいらないんですが、やはり同じ世界でメシを喰っていく以上、義理は欠かしちゃまずいだろう、と、この人が種村直樹氏の事を書いた記事を探しました。すると、

種村直樹氏をしのぶ | 岸田法眼

ありました(爆)。そして「肩書き」に着いても後半の方に。

■戸惑いの末

私が『Yahoo!セカンドライフ』の選抜サポーター就任時、単に「フリーライター」という肩書で、仕事をさせていただいた。現在は某社の"むちゃぶり"(掲載誌が届いたあとに知った)がきっかけで、種村氏と同じ「レイルウェイ・ライター」と名乗っている。無論、読者や関係者などの批判を覚悟の上だ。

当初、恐れ多い肩書きに戸惑いを覚え、某社に異議を唱えるべきか悩んでいた。ある日、仕事の打ち合わせで、初めてお会いする編集者(現在は退職され、転職)に掲載誌をお見せしたあと、相談した。すると、「いいじゃないですか」と微笑み、改めて私を歓迎していただいた。このひとことが今も心の支えになっている。

種村氏の著書や雑誌記事は、これからも燦然(さんぜん)と輝き続ける。

合掌。

 いやいやいや(汗)。その編集者は誰だか知らんが、本人やその周りに何も言ってないんかい(爆)。

ちなみに種村氏は晩年4年間は大病を患ってほぼ入院状態で表舞台にはなかなか出れなかったそうで、ファンクラブもその大病を患う直前に自主的に解散し、氏の病状などを知るのはご家族やお知り合い、そしてごくごく一部の熱心やファンしかおられなかったという。奇しくもちょっとした鉄道旅行ブームが起きていていろんなムック本やノウハウ本が出回り始めていた時期だったゆえに、本来だったら種村氏がやるべき書くべき仕事のお鉢が回ってきたのが、こういう若手の鉄道ライターの人たちだった、という側面もあったりするが…。

うーん、本人はもとより、ご遺族には挨拶はしておいた方がいいぞ。よくわかんない編集者の「いいんじゃないすか」だけじゃ、鉄道ファンは「何お前、勝手に「レイルウェイ・ライター」を名乗ってんだコラ」と、仕事の幅を狭くするだけで何も良い事はないと思うんですけどね。

6.最後に「襲名」に関して話題を2つほど。 

最後に、「襲名」に関して2つほどツイッターから引用させてもらいますと、

種村直樹氏の愛弟子であり、現在はやはり鉄道ライターとして活躍されている栗原景(かげり)さん(←この方は種村氏の鉄道旅行ものに中学生のころから読者してよく文面に出てこられる方だったりする)は、非常に真摯かつ大人な対応で、

と書かれておられますね。ま、個人的にはあなたにこそ「レイルウェイ・ライター」を名乗ってほしいと思いますわ。種村氏の後継者としてね。

それと、立川流で長らく塩漬け状態になっていた名跡を継ぐという話がつい先日出ておりまして、

「立川小談志」という名跡は、このツイートされた立川談四楼師匠のすぐ上の兄弟子さんが名乗っていたんですが、寄席に戻りたいという事で立川流を脱退して5代目鈴々舎馬風門下に移籍してから「喜久亭寿楽」を襲名された際に、談志師匠に許可を得ずに(談志師匠の弟弟子だった)馬風師匠門下に移籍したので、揉めちゃったんですね。

で、先代は2008年に亡くなられたんですが、その立川流を離脱したいきさつもあり、そのまま誰も名乗ることはできずに…と。

それを談志師匠の直弟子で、現在は(談志師匠が亡くなったので)兄弟子預かりになっている泉水亭錦魚(せんすいてい・きんぎょ)さんという二つ目の方が今年10月に真打昇進するんですが、そのタイミングでこの「立川小談志」を襲名される、というお話だったりします。

で、読んでの通り、ちゃんと次の「小談志」さんは、ご遺族にあいさつに出向いて、ご了承を得てるでしょう?いや、自称「レイルウェイ・ライター」氏も、「先代」と同業者で、「先代」の事をよく知っている人たち(それは一緒に仕事をしたという事もありますが、種村氏の本を子供のころから読み続けていてこの世界に入ってきた人たちの事も指します)と仕事をし続けていくんだったらそんぐらいはしてもいいと思うんですけどね。私の書いてることはもう前時代的なことなのかねえ。ぶっちゃけ今からでも遅くはないと思うんですけどね。

旅と鉄道増刊 種村直樹の鉄道旅行術 2013年 12月号 [雑誌]

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観なきゃよかった

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談志が死んだ

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↑ 先代の小談志さんの話はこの本が非常に詳しく出ております。

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