よりによって日本航空123便墜落事故と同じ日に同じ航路で…。

スポンサーリンク




全日空機 客室の与圧システム異常か 羽田に引き返す(NHK)

っかし、よりによって日航123便墜落事故と「同じ日」「同じ経路・航路」に、この「インシデント」が起きるとは…(;゚Д゚)

12日夜、羽田空港から大阪空港に向かっていた全日空機が、客室内の気圧を保つシステムの異常を知らせる警報が作動したため、羽田に引き返しました。乗客乗員270人余りにけがや体調不良を訴えている人はいないということで、全日空などが詳しい状況を調べています。
国土交通省や全日空によりますと、12日午後6時半ごろ、羽田空港から大阪空港に向かっていた全日空37便、ボーイング777型機で、客室内の気圧を一定に保つ「与圧」システムの異常を知らせる警報が作動しました。

全日空によりますと、この機体は午後6時24分に羽田を離陸し巡航高度まで上昇しながら飛行中だったということで、機長が客室に酸素マスクを出すとともに羽田に引き返し、午後6時51分に着陸しました。

この便には乗客262人、乗員11人の合わせて273人が乗っていましたが、けがや体調不良を訴えている人はいないということです。

全日空や国土交通省は、実際に客室内の気圧が低下したのかどうかなど、当時の詳しい状況を調べています。

そし奇しくもこの全日空機が離陸した「午後6時24分」という時間が、日航123便では相模湾上空で「異常事態が発生した」時刻ってのも、なんか妙な「共通点」であり、なんとも嫌な「符丁」のような気がしてならないんですが…。それはともかく、いや、よくぞ無事に羽田に引き返してくれました。

スポンサーリンク

なぜか「あの日、何やってましたか?」と必ず話題になる。

以前どこかに書いてあったのを読んだ記憶があるんですが、アメリカ人は「真珠湾攻撃の日(1941/12/08)」と「J・F・ケネディ大統領がダラスで暗殺された日(1963/11/22)」は自分がどこで何をしていたかを覚えている、という話があるそうで近年だとたぶん「ニューヨーク同時多発テロ(2001/09/11)」がそれにあたるのではないか、とも。

一方で、私自身、不思議なもので友人や知人、仕事の同僚などと「あの日、何やってましたか?」と話題になる出来事が4つあり、それは、

1.日航機123便墜落事故(1985/08/12)

2.阪神・淡路大震災(1995/01/17)

3.ニューヨーク同時多発テロ(2001/09/11)

4.東日本大震災(2011/03/11)

…の4つは、なぜかオフライン・オンライン問わず、特に実際にこの日に会った際には「あの日、どうしてました?私はですね…」とほぼ確実に話題になりますね。更にこれに加えるとすれば「地下鉄サリン事件(1995/03/20)」や「福知山線列車事故(2005/04/25)」もそれに含まれるのかもしれませんが…。

ちなみに今日は、私は午後、葛西に住んでいるクイズサークルの友人を訪ねて、葛西駅前のガストとロッテリアをはしごして4時間ぐらいクイズ談義とか馬鹿トークとかをしてました(汗)。

でもこの時も「そういえば日航機墜落事故の日ですね…あの日、どうしてました?」という話題にはなりました。友人は当時高校二年生だったそうで、やはりよく覚えているそうです。坂本九氏が亡くなったとか(ついでに書くと今の私の年齢(42歳)が、坂本九氏が事故で亡くなった年齢なんだそうで…)。

たぶん私には、ニュース速報でトラウマがある。

私自身、この「1985年8月12日」というのは、当時小学校5年生で、翌日に親が休みが取れて「筑波万博」に行くということで「早く寝ろ」とせっつかれたのをよく覚えてますね。我が家は当時は夜9時に寝てましたので。それと、夕方にスイミングスクールが終わって、家に帰ってきてTBS系列の「クイズ100人に聞きました」を視ていたら、5分に1回、ニュース速報のテロップが流れまくってて、あれでそれから10年近くはニュース速報のテロップへのトラウマが植え付けられてしまい結構大変でしたね。

※実は「トラウマ」を植え付けられたのは「クイズ100人に聞きました」…ではなく、そのニュース速報を視た後に、母親がチャンネルをNHKに切り替えた直後の↓このニュース速報と、木村太郎キャスターの臨時ニュースでした。

昭和60年当時のNHKは、ニュース速報のテロップが「画面下」だったんですね。2分50秒後にニューススタジオに切り替わるわけですが…。そして怖かったのは、最初の速報では497人、木村キャスターが言うには約500人、そして最終的には524人も乗っていた…ということでしたね。

で、翌日、朝早く成田の実家から筑波の万博にでかけると、物凄い人達がゲートの前で座って行列をなしてまして、母親が作ったおにぎりを朝ごはんにして、家を出る前に届けられた朝刊をシート代わりに敷いて座ったんですが、これが座った紙がよりによって「乗客名簿」の面でして、その後に、富士通のパピリオンに入るだけで3時間ぐらい待ったりして、子供心に気分を害してしまい、筑波万博にはいい思い出が全くないという始末でした(なのでこの手の博覧会ものはそれ以後一度も行ったことがないのです)。そしてしばらくして会場内のお店でお昼ごはんを食べてるときに、「どうも生存者が4人ぐらいいたらしい」というニュースが噂になっていて、「あー、助かった人がいたんだ…」と呟いた記憶はあります。

「話題」にして忘れないのも「鎮魂」…なのだろうか。

それとこの1985年という年は、私にとっては最愛だった父方の祖父が亡くなった年でもありまして、まあとにかく印象が良くない年ですね。人生でもたぶん東日本大震災があった2011年と同じぐらい「嫌なことしかなかった」印象しかない年でした。しかしそれゆえに「(父方の)祖父の死」=「日航123便墜落事故」=「筑波万博」=「阪神優勝」というのが良くも悪くも記憶に刻み込まれていて、いずれにしてもそれだけインパクトが大きかった世間を震撼させた出来事だったのは間違いないようです。

ただ、ひとつ思うのは私の身内には幸か不幸かこの事件による犠牲者などはいなかったのですが、世間がこうして「あの日、何してた?」ぐらいの話題をするだけでも、結果的には「事件・事故を風化させない」効果はあり、つまりは「世間は忘れない」という意味合いは少なくてもあるのかな?とは思うわけですね。それだけも少なからず後世への「教訓」にもなっているわけで(少なくても日航機がこの事故の後に墜落死亡事故を一件も出してないそうですし)、犠牲者の方々への「鎮魂」になってるのかな…と思うようにはしてますね。

と同時に今回のケースは、この事故があったからこそ迅速かつ最良な形で「事故」にならずに済んだ…と思ったほうが良いのかなあ、教訓にはなったのかなあ、といろいろと考えてしまいますね。

改めてご命日に…黙祷。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

スポンサードリンク